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2011年6月

学習に苦戦している子どもの「学びやすさ」に目を向ける発想を

学びのしかけプロジェクトメールマガジンからの転載です。

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(以下転載)

1 学習に苦戦している子どもの「学びやすさ」に目を向ける発想を
「インクルージョン」編集委員
ノートルダム清心女子大学 青山 新吾
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 106号は、青山新吾さん。今春、大学へ転身されてからはじめてのご
執筆となります。新たに教師を目指す学生を育てる立場になられた青山さ
んの最新のご論考です。                (石川 晋)
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1 学習に苦戦している子どもの「学びやすさ」に目を向ける発想を
「インクルージョン」編集委員
ノートルダム清心女子大学 青山 新吾
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 ある小学校での算数の授業。
「習熟度別」に行われているこの授業は、クラスの子どもたちが2つの
グループに分かれている。
 算数という教科で、子どもたちの実態を考えるとどうなるのだろうか。
 算数にかかわる知識・技能が身についている子ども。身についていない
子ども。
 算数の得意な子ども。算数が苦手な子ども。
 算数の好きな子ども。算数の嫌いな子ども。
 算数を学びたい子ども。算数を学びたくない子ども。
 いや、こんなに単純ではないだろう。
 算数が好きだけれど知識や技能の習得が不十分な子どもや、算数が嫌い
だけれど、算数の得意な子どもはいないのだろうか。
 算数は嫌いだけれど学びたい子どもや、算数は好きだけれども学びたく
ない子どもはいないのだろうか・・などなどと思いは募る。

 しかし、この授業の場合のグループの分かれ方はもっとシンプルである
と思われた。
 グループは、算数にかかわる知識・技能の「習熟の度合い」によって分
かれているのである。片方のグループでは「習熟の不十分な」子どもたち、
つまり算数の苦手な子どもたちが学んでいたのである。

 この場合、算数の苦手な子どもたちに対して、どのように授業を進めて
いけるのだろうか。
 授業は、2位数と1位数の加法を扱った単元であった。
 2つのグループの人数は均等ではなく、苦手な子どもたちのグループの
方が少ない人数で構成されていた。  

 私は、苦手な子どもたちのグループの教室に入った。教室には、スクー
ル形式で机が配置されている。
 机の間は、先生が行き来できるように離され、1つ1つの机は、別々に
置かれている。
 担任とは別のベテランの先生が前に立たれ、子どもたちは「ピシッ」と
背筋を伸ばした良い姿勢で、前の先生の方を向いている。
 ちなみに、このクラスを2つに分ける前の、子どもたち全員での授業も
参観させていただいたが、様々な子どもたちが「元気よく」学んでいた。
「元気のよさ」が、集団としての統率のしにくさとも言える気がした。少
なくとも、今、私の前に展開されている「規律正しい」光景とは異なる印
象であった。

 授業が始まった。
 誤解を恐れずに言えば、非常にオーソドックスな授業形態であった。
 問題が黒板に書かれる。
 先生が「発問」される。
 子どもが挙手する。
 「指名」される 
 子どもが発言する。
 先生が「説明」される。
 「わかりましたか?」と理解の確認をされる。
 「はい」という子どもたちの声が教室に響く。
 一人一人の子どもが、ノートに書いて、問題に取り組む・・・といった
形態である。

 一斉授業のオーソドックスな形態だと感じた。
 扱われている課題は、教科書に掲載されている課題である。
 後でもう一つの「苦手ではない」グループも参観したところ、同一の課
題であった。

 同一課題を、同一の一斉授業形態で授業しているわけである。
 2つのグループで違うことは何か?
 グループを構成している人数が違う。
 構成している子どもたち習熟の度合いが違う。
 先生の一人一人への目の行き届き方が違う。

 「苦手なグループ」の子どもたちは、大きな声で発表する。いや、でき
ない子どももいる。指名されても答えられない子どももいる。
 「数え棒」を出して作業するように先生の指示が出た。
 10人の子どものうち3人は、「数え棒」を箱から出す段階で、先生の
指示がわからなかったようである。
 たくさん机上に出し過ぎている子ども。
 指示された色とは異なる「数え棒」を出している子ども。
 隣をチラッと見ているが、隣の活動の様子を見るには、机の位置がやや
遠いようである。いや、そもそも隣を見ながら活動することが推奨されて
いないようである。だからチラッと見る。
 先生は、そのような様子に気付かれ、個々の子どものところへ順番に行
かれて、個別に支援される。
  
 課題に取り組む。
 やはり、取り組めない子どももいる。
 先生は、個々の子どものところへ順番に行かれて、個別に支援される。

 まとめの場面になった。
 自分のことばで発表できる子どももいる。
 発表できない子どももいる。
 黒板にまとめのことばが書かれ、発表できない子どもは、黒板のまとめ
を読む。ノートに写す。

 この授業での算数が苦手な子どもへの「方略」は「教師による個別指導
の時間確保」なのだと感じた。
 そのためには、グループの人数が少ないことは重要な環境要因である。

 同時に、あの子どもたちの「学びにくさ」は何なのだろう・・・と考え
た。
 言語指示の理解しにくさ。
 理解のスピードのゆっくりさ。
 活動のゆっくりさ。
 基礎知識等の不十分さ。
 自信のなさ・・・などなど。

 これらの「学びにくさ」を把握し、それに対しての「学びやすさ」のた
めの「しかけ」を考えるとしたら「教師による個別指導の時間確保」とい
う「しかけ」以外にも考えられるだろうか。
 
 教室環境としての机の配置。
 2人組だったらどうだろう。
 4人組だったらどうだろう。
 指示理解が難しくても、周囲を見ながら理解したり、活動に取り組めた
りすることは子どもたちの「学び」を促進するのだろうか、邪魔するのだ
ろうか?

 授業の冒頭で、いきなり本時の課題提示をせずに、どの子どもも答えら
れたり、振り返ったり、繰り返したりできるような活動を最初に入れて、
教室の空気を暖めたらどうだろう。
 同一課題提示をやめて、課題の複数提示はどうだろう。
 同一活動を同一スピードで進める形態を止めて、個々の活動の速度の違
いを前提にしたらどうだろう。
 これらの発想は、子どもたちの「学び」を促進するのだろうか、邪魔す
るのだろうか?
 
 授業のアイディアは、子どもや集団の実態、教材や授業の目標等によっ
て採用できたりできなかったりするものである。先ず大切なのは、アイデ
ィアの中身を検討することよりも、「教えやすさ」の発想だけではなく、
学習に苦戦している子どもたちの「学びやすさ」へ対応するという発想を
持つことだと考える。

 学習に苦戦している子どもたちへの「しかけ」を意識してみたい。その
「しかけ」に「子どもの学びにくさ」に目を向ける発想を持ちたいと考え
始めたこの頃である。

授業づくりネットワーク誌
→ http://www.gakuji.co.jp/magazine/network/index.html
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【編集後記】
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 大変な共感を持って読むことが出来ました。
 一斉授業中心の授業スタイルの問題。習熟度別学習の問題。生活班を固
定的に学習グループとして活用する問題。青山さんのご指摘は、私自身が、
中学校という場所で、考え、取り組み始めている問題と、見事に重なりま
す。「アイディアの中身を検討することよりも」「学びやすさ」の発想を
というご指摘、大いにうなづけます。
 今号発行の前に本メールマガジンの購読者が1700人になりました。昨年
4月は1460人からの出発でした。たくさんの読者の方に支えられての発行
です。感謝申し上げます。

 次回日曜日発行の107号は、初登場佐々木潤さん。甚大の被害が出てい
石巻からの情報発信です。
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メールマガジン「学びのしかけプロジェクト」
第106号(読者数1700) 2011年6月24日発行

編集代表:上條晴夫(haruo.kamijo@gmail.com)
  ぜひ、読者のみなさんの声をお聞かせ下さい!
編集長:石川晋
副編集長:長瀬拓也・加藤恭子・藤原友和・佐内信之

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学びのしかけ:吃音のある子どもたちのグループで

 吃音のある子どもたち同士の出会いと、その後の

緩やかなつながりについて、この前の記事で書いた。

 以前、吃音のある子どもたちのグループ指導につ

いて、ある報告書に、その段階での知見や記録を

まとめた。

 『吃音のある子どもの自己肯定感を支えるために』

【言語に障害のある子どもへの教育的支援に関す

る研究-吃音のある子どもの自己肯定感形成を中

心に-】

http://www.nise.go.jp/kenshuka/josa/kankobutsu/pub_b/b-213.html

という

国立特別支援教育総合研究所課題別研究の報告

書に掲載されている。牧野泰美氏が研究代表者を

務められていた。

 ことばの教室でのグループ指導だけではなく、ことば

の教室の枠を飛び出した集いやキャンプの取り組み

についても掲載されている。

 私の最近の研究テーマの1つは「学びのしかけ」だ。

http://jugyo.jp/

 この研究で吃音を扱って考えることをしていないが

吃音のある子どもたちが集まる場づくりと、そこでの

つながりの創出のための工夫、そして、そこで生じた

子どもたちの「自分の吃音に対する感情の動き」の

一連の流れは、紛れもなく「吃音のある子どもへの

学びのしかけ」であったと考えている。

 いずれ、もう少し緻密に論じたいな・・。

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どもるってどんなこと

 息子の部活動の試合に行った会場で

「先生!」

と声をかけられた。

 以前、つきあいのあった子どものご両親であった。

 吃音のある子どもだった。

 小学生の時に、吃音のある子どもたちを集めて

グループで指導していた。その時の一人だったのだ。

 何度かメールをいただいていたけれど、随分ご無沙

汰してしまっていた。よくお声をかけてくださったなーと

感謝である。

 あの時のメンバーで、この前もボーリングに行った

のだと教えてくださった。

 教師の手を離れ、子どもたちは、そしてご家族は、

ゆるゆるとつながっているのだった。これが、当時

僕がイメージしていた姿の1つだった。

 子どもたちも家族も、ひとりぼっちにならないこと。

 緩やかにつながっておける、そのようなきっかけが

作れたら良い。

 学校で、ことばの教室でやれることはそんなには

ないだろう。

 子どもたちの将来を見据えた時に何ができるのか。

 それが当時の僕のテーマであったのだ。

 今日の夕方の講義では、学生たちと吃音の絵本を

一緒に読もうと思う。

 『どもるってどんなこと』である。

 日本橋学館大学の長沢泰子先生とそのグループの

貴重なお仕事である。http://www2m.biglobe.ne.jp/~genyukai/gif5/domottemo01.jpg

 保育士を目指す学生たちには、どうしても知ってお

いて欲しいと思う。そして、何かを感じ取っておいて

欲しいと思う。

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「おはようございます」が言えなくて

 学生に問うた。

 ある学校の朝の正門での出来事。

「おはようございます」

と、大きな声で挨拶をしようという取組の中、ある子どもが

教師に叱られた。

 挨拶をしない。

 大きな声で挨拶をしないという理由である。

 その子はうつむいて、背中を丸めてとぼとぼと教室に

歩いていった・・・。

 これだけの状況で、この子どもはどうして挨拶のことで

叱られたのか・・について想像を巡らせよ・・という、結構

無茶な振りをした。

 夜遅くまで起きていたのかもしれない。

 家庭で何かあったのかもしれない。

 何か、意地を張っているのかもしれない。 等々。

 50人があれこれ考えた。

 一人で考えず、話してみようといっているので、相談し

て近くの人と一緒に考えた。

 でもそこにはでなかった1つの見方。

 それは、吃音である。

 講義で扱う機会を狙っていた吃音臨床のこと。

 ことばの最初が出ない、難発症状を知らなかった学生が

ほとんどであった。それはそうだろう。

 吃音は、緊張したから言えなかったとは限らない。

 吃音は、勇気がないから言えないのとは違うしんど

さがある。

 誰もが知っている「おはよう」ということば。

 分かっている、知っている、そして言う気持ちもあるけれど

「言えない」ことがある。

 吃音の本質を考える講義をしたつもりである。

 言い換えられる。

 隠そうと思えば隠すことができる。

 言い換えたことばは、言い換える前のことばと違う。

 それは、その子の本当のことばと言えるのか・・。

 でも、絶対に吃りたくない・・と言う気持ちと言い換えが

天秤にかかっているとしたら・・。

 

 ことばってなんだろう。

 ことばって何かを考え始めるきっかけとなるこうぎをし

たつもりである。

 その分、吃音の基本的な知識の扱い方が雑だった。

以下のリーフレットを資料とし、恐らく持ったであろう疑

問に答えて講義終了。

http://www2m.biglobe.ne.jp/~genyukai/book/soudan-gakudou.PDF

 毎回必ず授業の感想を提出することとしている。

 毎回、僕も全員に1文はコメントして返すこととしてい

る。

 感想を読んだ。

 受講している学生の30%が、これまで、吃音のある

人、子どもとつきあった経験があった。

 ほぼ全員が、感想用紙にぎっしり書き込んでいた。

 自分と向き合い、自分のことばで綴ろうという努力が

見えた。

 この積み重ねが、この先かならず彼女たちの力に

なるはずである。

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