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2011年1月

経験とは

 今の職場に来て、最高とも思える業務の重なりで

毎晩の深夜帰りが続いている。

 この1年の計画を考えた時から、ある程度予想は

していたが、アクシデントもあって、予想を超えてい

る。

 同僚たちに助けられ、先週は、なんとか締切に

間に合わせることができた。

 土曜日は、ほとんど公務に近い用事があり、

日曜日は、どこにも行かず、報告書の類の確認

で過ごした。

 先日、ある方が

「どんなことも、経験するのはよいことだ」

とおっしゃっているのを耳にした。

 本当にそうなのだろうか・・・。

 自分自身のミッションを明確にしていること。

 その経験が、自身のミッションにどのようにコミ

ットしているのかを意識すること。

 そして、経験は意図的に積み重ねて、整理して

おくこと。

 これらが不明確な「経験」を場当たり的にいくら

したところで、それが、自分の力になるとは思え

ないな・・・と思って聴いた。

 とすれば、最近の僕の生活という「経験」を

どのように自分の力にすることができるのかを

考えないとね。

 ただ、追われているだけでは話にならない

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模造紙1枚が「緩衝機能」を果たす

函館の小学校教諭、藤原友和さんの原稿が

メールマガジン「学びのしかけプロジェクト」に

掲載された。

http://jugyo.jp/

 圧巻である。

 結果の分かっている実験をなぜしなければ

いけないのかと考える児童。

 分かっている実験をすることと、それを壁に

貼ってある模造紙に描くことは別だと考えたら

しい子どもの思考(自分論理とでもいえるか)を

見抜いている教師。

 壁に貼られた1枚の模造紙が「緩衝物」となり

論理的にはやる必要のない実験を行い、授業に

参加することになった事実が報告されている。

 描くことで、視線が描かれたものに向かう。人

と人とが直接向き合わないと藤原さんは述べて

いる。

 これ、視線の共有が苦手な場合には重要な

視点だと感じる。

 また、描かれたものと描いた人とは別のこと。

つまり「考え」と「人」とを分離する機能があると

藤原さんは述べている。

 これ、大人でも難しい場合があると思う。だから

重要なことである。

 僕は、子どもたち、支援を要する子どもたちの

中に、心理的な距離感を寄せすぎるとうまくいか

ない子どもたちがいると考えている。

 今回の論考には、心理的な距離感を保つため

の重要な提起が成されていると感じた。

 壁に1枚の模造紙、実はFG(ファシリテイション

グラッフィック)の達人である藤原さんが、それを

教育に、小学校の授業に、特別支援教育に応用

されている例なのだと思う。

 子どもたちの「学びやすさ」の追究は、急ピッチで

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教えやすさと学びやすさ

 連休を利用し、教育イベントに参加。

 20年来の友人が主催するイベントのファイナルに

お招きを受けた。仕事が立て込んでいる時期ではあ

るが、とんぼ返りの日程で参加した。

 とにかく刺激的の一言!

 トピックを拾ってぼちぼち書いてみたい。

 今日は1つだけ。

 それは「教えやすさ」と「学びやすさ」である。

 特別支援教育を意識した授業にはいろいろあるが

教師にとって「教えやすい」授業と子どもにとって「学

びやすい」授業があるのだと思う。

 そして、これからは「学びやすさ」がキーワードとなり

学びにくい子どもたちが「学べるためのしかけ」を追究

する時代になるのではないか。

 そのようなことを感じた時間であった。

 お世話になった皆様、本当にありがとうございました。

 「仲間」の存在の意味、大きさを痛感した2日間でした。

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新年おめでとうございます

 新しい年が始まりました。

 今年もよろしくお願いします。

 日本の著名な実践家の方々のブログを拝見

すると、元旦からご執筆!といった記述が多く

驚きだった。

 さすがだな・・と感心しつつ、自分は、のんびりと

雪の京都で新年を迎えたのだった。

 両親が亡くなる前、僕が30歳くらいまで、我が

家は毎年、京都で新年を迎えていた。親戚が

いるわけでもない。ただ、母が京都を気に入って

いたのだと思う。

 結婚し、子供が生まれてから、僕は両親と

正月を過ごすことがなくなった。そして、そのまま

一緒に過ごすこともないまま、亡くなった。

 今回、家族と義理の両親、そして僕の叔父夫

婦という不思議なメンバーで京都に行ったのだ

った。実に13年ぶりの京都での新年だった。

 大晦日から京都は雪!

 着けるのか? という不安の中、なんとかホ

テルに到着。

 以前、よく深夜の初詣に行った。

 高校の時、父と受験の話をしながら初詣に行

ったことや、長男が生まれる前に、妻も一緒に

深夜に近くの神社に行ったこともあった。

 今回は、子どもたちを連れて深夜に出発。

 凍てついた道をゆっくり歩きながら、大きくなっ

て一緒に歩けるようになってきた子どもたちとの

時間を過ごしたのだった。

 時は確実に流れ戻ることはない。

 だから、今をしっかり生きること。

 でも、過ぎ去った時は忘れる必要もなく、時と

して自分と一緒に流れるのだろう。

 また1年が始まる。

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