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2010年2月

関係性を考慮する

 地域の巡回相談にあたっている方々との会議に

出席した。

 フォーマルな会ではあるが、温かい雰囲気の中

リアリティのある現場のことばが語られる、とても

意義のある時間だったと思う。

 中でも、子どもの思い、状況、保護者の思い、立

場、学校の立場、先生方の思い等々を感じ取り

ながら、子どもの実態だけではなく、教室の状態

先生の教育観や技量も考慮に入れて「相談」に

あたられる相談員さんの、丁寧かつ謙虚なご報告

がとても印象に残った。

 やみくもに一方的なアドバイスをすることはしない。

 保護者に一方的に専門機関受診を勧めることも

しない。

 その場で求められる役割、相談の落とし処を探り

ながら進めていく「相談」。

 でも、「相談」の時間や回数には制限がある。当然

ある限定された条件の中で仕事はするものだ。

 だからこそ、そこに携わる方々の苦悩が伝わってくる。

 今の僕の仕事は、できるだけ事象をシンプルに言語

化し、シンプルな図式に落とし込むこと(を求められる

こと)が多い。でも、臨床の、教育実践の最前線でまで

シンプルさ、単純化が指向される傾向には、危険な

香りを感じる。

 臨床は、現場の実践は多くの関係性の中で成り立っ

ているのだから。簡単に単純に、シンプルには言えな

いことも多いのだ。

 愚直な実践の仕事が、認められ、応援されることは

日本の特別支援教育が、「日本の教育文化」に位置

付いて進むためには重要なことだと思う。

 その意味で、先日の会議には、大きな意味を感じた

のだった。

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語り合い

 週末は、上司と一緒にとある連絡協議会に

出向いた。

 公務である。

 これまでとは少し雰囲気が違った。それには

いくつかの理由が考えられるが、その中の大き

な1つの理由は、そこに参加されている学級の

先生方の思いや仕事にダイレクトに迫ろうと、

共有しようという思いが強かったからではないか

・・・そのようなことを思いながら参加していたのだ

った。

 また、ドクター、看護士さん、臨床心理士さん、

学校の管理職、教諭の先生方、行政担当者が

一堂に集まり、学級の困りごと、悩み、しんどさに

ついてグループで協議する。そこには、実務担当

者がリアルに「連携」している事実があったと思う。

 最後の私の指導助言は、これまでの協議会とは

異質な斬り口の、異例の内容だったと思う。

 教育と他分野が、似ていることをそれぞれの「こと

ば」で表現していることを話し、「ことばの共有化」

が「具体的な事柄」を共有したり理解したりできる

ことを話したのであった。

 きっと陰ではいろいろ言われたのだろうが、私には、

あの時間を、これからの子どもたちのために進める

きっかけにするには、「対立図式」と批判だけでは

ない、本当の「連携」「つながり」にしたいと、心から

思ったのである。

 本来上司が話すはずの時間を

「やってみろ」

と私に与えてくださった寛容さ。スケールが大きい

上司の下での仕事である。

 たとえ、私が批判されても、あの時間が今後の

子どもたちのためになるのであれば、それで十分

だと思いつつ、会場を後にした。

 そのような思いを抱えつつ、その夜は、尊敬する

京都の糸井先生が、私の地元に講師でいらっしゃ

ると聞き、お時間をいただいたのだった。

 糸井さんを独占しての3時間半。

 内容は秘密だが、僕の話をたくさん聞いてくだ

さり、またお話をたくさん聞かせていただいた。

 教育談義しかない時間。充実の一言である。

 また明日からぼちぼちいこう。

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一人じゃないから2

 3日間連続で午後から出張であった。

 午前は職場で仕事。午後は出張で、戻って

夜は職場で仕事の流れである。

 締切が迫っている仕事が終わっておらず、

夜な夜な資料づくりと、協議のための電話と

メールで過ごしている。

 出張に出た先で声をかけていただく。

「相談したいことがあるけれど、時間ありますか?」

 

 声をかけてくださる方々と、一緒に話す時間は

何事にも変えられない。

 だから、時間は「作る」のである。

 3日連続で、2時間ばかりのお話の時間を作った。

相談事だから内容はかけないが、一緒に考える時

間は、僕にとって嬉しく貴重な時間であった。

 声をかけていただく。

 一人じゃないと実感できる瞬間、時間。

 仲間がいれば、前に進んでいけるから・・・。

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一人じゃないから

 とある会議で、まあ、あれこれと批判を受けた。

 納得できる話、こちらの説明不足や説明の組み

立ての未熟さが招いた話などが入り乱れたと思う。

 限られた時間で、冗長な表現は許されないという

制約の中で「勝負」する。

 いろいろとお話をいただきながら、なぜか、私の

頭には違うことが浮かんでいた。

 多くの仲間の顔である。

 会議は、相手に勝つために行っているのではない。

 これまでの仕事を進められる結論が得られればOK

である。

 私が何を言われようが、関係ない。

 前進できる結論が得られればOKである。その意味で

今日の会議はOKであった。

 私は、決して一人で仕事をしていない。

 職場にも、県内にも、全国にも多くの仲間がいる。

 独りぼっちを作らない。

 講演やブログなどでいつもつぶやいている

ことばだ。多くの親子に向けてつぶやき続けてきたこ

とば。それを自分自身に投げかけながら、また明日か

らぼちぼち歩くことにしよう。

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暮らしの中の自閉症

 先日、主任自動員の方々の研修会にお伺い

する機会をいただいた。

 障害のある子どもと暮らす家族についてが主

たるテーマ。特に今回は、発達障害のある子ど

もと暮らす家族に焦点を絞って、お話させていた

だいた。

 ポイントは1つだけ。

 「障害」の話ではなく、「障害のある暮らし」に

ついて話せる方が側にいることの大切さである。

 家族の暮らしを周囲との関係でとらえること。

 家族の暮らしの「背景」にまなざしを向けること。

 

 動物が嫌いな自閉症の女の子。

 動物は嫌いでも構わない。生きていける。

 でも、これが自閉症の特性と絡み合うことで、

急に道ばたで犬と出会った時の道への飛び出しや

同じ道を通れなくなることによる暮らしにくさに

つながることがある。

 だから、適切な対応、指導が必要だ。

 でも・・・。

 大嫌いだったはずの動物園に初めて行けた日

の夜、大好きな祖父母に自分から電話して

「今度、動物園に一緒に行こう」

と話したと言う。

 このエピソードは「自閉症」として捉えていたら、

子どもの内面が見えなくなると思うのだ。

 「暮らしの中の自閉症」の物語。

 障害の「専門家」は増えてきている昨今、暮らしの

中の物語を共感できる方は、必ずしも障害の「専門

家」とは限らないと思う。

 そのような「応援団」が増えることを願い、貴重な

時間をいただいたのだった。

 終わってから昼食をご一緒させていただいた役員

さん方の熱意に圧倒されて会場を後にした。

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暮らしの中の吃音

 随分久しぶりに、吃音臨床について、お話を

させていただく機会を得た。

 それにかこつけて、少し早めに現地に赴き

これまたものすごく久しぶりに、尊敬する先輩と

夕食をご一緒させていただいた。

 日本の特別支援教育をリードされる方のお一

人であるはずなのだが、今は、一都市の行政職

で、お仕事をされている。

 発達障害全盛の時代に、そうではない障害の

ある子どもたちのために、お時間を使われて、

丁寧なお仕事をされていた。

 きっと目立たない、地味な、でもものすごく重要な

お仕事なのだと思った。どこにいらしても、軸が

ぶれないお仕事ぶりに、大変な刺激を受けた。

 軸がぶれない仕事をしていきたいと思う。

 講演会は、「吃音のある暮らし」がテーマ。

 ようするに、生活場面から遊離した、お部屋の

中での臨床にとどまらない「暮らし」を視野に入れた

臨床の話を・・・という依頼だったのだ。

 拙著で書いているエピソードを組み合わせての

1時間半。

 そこに流れるコンセプトは「独りぼっちを作らない」

「一緒に進む」である。

 暮らしていればいろいろあるよ。

 でも、独りぼっちじゃないよ。

 吃音のある暮らしの、現実対応を一緒に考えてい

こう。

 そのような取組は、子どもたちの「内面」を少しずつ

少しずつ動かしていくのだと思う。それが、自分自身

の吃音のある暮らしの話を、自分なりにできる「ことば

の力」を育てることにつながってくる。自分の吃音エピ

ソードを笑いながら語れるような、自身への客観的な

まなざしを育てることにつながってくる。

 表面的な言語症状の背景にある「内面」。

 それは、目には見えないものである。

 見えないものを大切にするところに、特別支援教育の

本質があり、吃音のある暮らしへの臨床の本質があると

僕は思う。

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語り続ける

 週末に、県内外から仲間が集まっての合宿。

 今週は、1週間に2度の東京出張があったり

新幹線アクシデントがあったりと、コンディション

に不安があったものの、仲間の顔を見ると、

すっかり忘れて話し込んだのであった。

 4時半から夜中の2時半まで。

 食事や入浴はあったが、その間も、ずーっと語

り続けていた合宿であった。

 これまでの特別支援教育の取組について議論

し、問題点について議論する時間。

 そこには多くのキーワードがあったが、敢えて絞

れば「関係」と「哲学」だったと僕は思う。

 教育実践は子どもと大人の「相互関係」。

 だから、子どものことだけではなく、子どもを見つ

める大人自身のありよう、内面を見つめることが

必要である。

 

 また、手法、手段を求めるニーズについつい応

えてしまいそうになるが、そこに流れる「哲学」を

意識して語ること、綴ること。

 

 愚直な努力を続けていこうという思いを新たに

した時間であった。

 地域での仲間作り。

 他の地域の仲間との緩やかなネットワークの

仕組み。

 「哲学」に支えられた具体的な実践。

 ぼちぼち前に進みたいと思う。

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