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2007年12月

町医者

 現場で臨床していた時の僕の仕事の

イメージに「町医者的」というのがありま

した。

 大きな専門機関と張り合わない(張り合

えない)。

 でも、小回りはきく。

 大きなところで聞きにくいことが聞きや

すい。

 いざとなれば、知り合いは多くて、つなぎ

ができる。

 ある方のブログを拝見していると、似た

発想の文章があり、嬉しくなってしまいま

した。

http://suponji.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_25e3.html

 特別支援教育で目指す各学校あるいは

各教員のイメージをどのように描くかは、重

要だなと思います。

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連携は大切なんだけれど・・・

 以前経験したある会議でのこと。

 苦戦している子どもと家族に関わっている

方々が集まり、これまでの経過を話しあいまし

た。

 連携。

 つながり。

 これまで大切にしてきたキーワードが浮かび

ます。熱心な応援団が集まっている素晴らしさを

感じます。

 でも・・・。

 どうしても拭えない違和感が、僕の中に渦巻き

始めました。

 医療機関での、中途半端な障害告知を受けた

後、家庭で

「おまえがちゃんとしてこなかったから、おれはこ

んなことになった。」

と、母親への暴力が始まったと聞きました。

 狼狽する母親。

 混乱する息子。

 のんきに薬の処方を話すドクター。

 集まって会議している応援団。

 誰かがいない。

 何かがない。

 本人に、腹据えて向き合い、やりとりし、交信

しようとする人がいないのです

 誰も言い出さない状況。

「僕が会ってみましょうか・・。」

その一言からケースが動き始める、そんな気

がして、話し始めたのでした・・・。

 向き合うということ

 今から20年前くらいに盛んに使っていた

この日本語を、今、この時代に改めて大切に

したくなっている僕がいます。

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同じ行為と言ってもね・・

 先日のある研究会での話から。

 さっきまでニコニコしていた子どもが、突然

豹変し(たようにみえて?)周りに暴力をふる

ったり、ものを投げたり落としたりするという

話。危険を回避する必要もあるし、場合によ

っては、押さえたり止めたりせざるを得ない

というエピソードを話していました。ディスカッ

ションの中で、ある学生さんから

「先生たちが、子どもを押さえすぎているから

それに反発しているのでは?」

という意見がでました。

 そうそう、確かにそのような場合もあるから

考えの1つとしては、悪くないなーと思いながら

聞いていました。しかし、その発想の奥には、

「押さえること=悪いこと」という思考があるよ

うな気もしたのです。

 私は

「その子は、果たして好きでその行為をやってい

るのだろうか? それとも、やりたくないけれど

やっているだろうか?」

と問いかけました。

 そこを考え、探ろうとする姿勢がないと、思考

停止してしまいそうだと思うからです。

もし、やりたくないけれどやっているのだとした

ら、僕らは、何を思いながら子どもに向き合うか。

本当はやりたくないんだよね。でもやってしまう

んだよね。よし、じゃあ、絶対に止めるから。絶

対にさせないからね。絶対止めるから。」

 こう思って、子どもを押さえるのと

「なんでそんなことばかりするのかなー? ホント

どうしようもないねー。」

と思いながら止めるのは、同じか違うか?

 行為としては、一見同じ。

 押さえるという行為。

 でも、問題は、子どもにどのように伝わってい

るのか? ということだと思います。そして

大人と子どもが「一緒に」闘い、進むような

やりとりになっているのかどうかということだと

思うのです。

 行為だけを見ていてはわからないこと。

 そこが重要だと、私はずーっと思いながら

こどもたちと過ごしてきました。

 同じ行為と言ってもね・・・。

 子どもにとっても、大人にとっても、意味が

違う場合があるんだよ・・。

 私のメッセージが、若い先生方や学生さん

に伝わったかな。それによって、私のことばの

意味も変わってくるのです。

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若い先生方と

 ある大学で、教員を目指す学生さんや

若い先生方向けの自主セミナーがあり

ました。今回は、特別支援教育がテーマ

で、私が話をさせていただきました。

 時間配分が悪く、

講義70分

ワークショップ90分

の構成でしたが、ワークショップが不

完全燃焼の感ありで、反省反省です。

 本当に熱心な学生さんたちの輝く

瞳に驚かされ、また嬉しくなり、若い

先生方の真剣な表情に身が引き締ま

り、東京や徳島からわざわざ参加され

たという先生方には驚愕し・・と、刺激

に満ちた一日でした。

 ワークショップでは、私の経験した

ケースのエピソードを4つ話し、そこから

足りない情報を、欲しい情報を探ること、

エピソードで見える子どもの言動の要因

を推察することに挑戦してみました。

 二次会、三次会と深夜まで続いた話し

合い? におつきあいさせていただき、

若い方々の熱気とやる気と誠実さに、

エネルギーをもらったのでした。

 また、これまで何度も雑誌論文等で

お名前を拝見して、あこがれていた

ある先生に、直接お目にかかることが

できました。30分くらい、あれこれお話

させていただくこともでき、これも幸せな

時間でした。

 出会いを大切にしていきたいなと思

います。

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自分自身と向き合う

 ある会議でのことです。

 今ピンチに陥っている子どもとその家族(母親)に

ついて、の話し合いでした。

 関係する方々が集まられ、夜になってからの開催

です。その熱心さに頭が下がります。

 これまでの経過、関連する方々のお話が、それぞ

れの立場から語られます。まさに「連携」の良さを実

感する場です。でも、途中から少し気になることが

でてきました。それは2つです。

 1つは、本人(子ども)と向き合い、やりとりをし、何

かを感じ取ってからの報告(ことば)が出てこないこと

です。

 もう一つは、どこかしら、各自の発言が、第三者的(

それは、当たり前といえば当たり前なのですが・)で

あり、自分自身を棚上げしてることばが多かったこと

です。そこで私は言いました。

確かに、今の状況は厳しい。いろいろあります。でも

小さい時からこれまでの親子の姿を振り返った時、

子どもに対し、君は悪い子ではない! お母さんに、

あなたは間違っていなかった! と言うことができるか

な・・・。私たちは、それを言えるでしょうか?」

 口先でそのようなことばを発しても、親子に伝わるこ

とはないでしょう。これらを言うのであれば、本当に

そのことばを自分は言うことができるのか・・・と、私た

ちが自分自身に向き合わなければならないそんな

気がします。その作業をしようと思う人が出てきてくれ

ることが、今の親子を救うために必要である。私の

メッセージは届いたのでしょうか・・・。

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